2018年8月31日金曜日

痛いのを我慢する選手たち





試合中に痛めた選手がするべき振舞いは、痛くてプレーできないことをアピールすることです。座り込んだり、寝転んだり、手を挙げたり、声を出したり。痛いことを伝えるべきです。しかし、痛いのに走ろうとしたり、痛いのに何とかプレーを続けたり、そういう場面を見かけます。その間、痛めた選手は最高のプレーを続けることは不可能です。私はそんな時、試合を中断させるように要求してほしいと選手たちにはお願いしたいです。

ところが、何が、そういう場面を生み出しているのか。少しぐらい痛くても我慢してやれ、という雰囲気をコーチが創っているのか。日本の教育の特徴として、そういうものがあるのか。考えられることのひとつは、大人の基準で子供の痛みを判断してしまうこと。「それくらいやれるだろう」という想いを持つこと、もしくは言動をとっていることが推測されます。子供らが痛いと思っている時に、それを受け入れない態度を大人がとったとき、彼らはどう思うのだろうか、想像しておかないといけません。想像してください。

私たちがスペインに行くと、スペイン人の選手たちの痛がり方を大袈裟に感じます。しかし、彼らは大袈裟だとは一般的には思っていません。(試合展開や選手たちの心理状況によっては、大袈裟に振る舞っている場合もあります)その心配をし、処置を施します。彼らを見ていると、私たちが言う「厳しさ」が何を目指しているのか、わからなくなってきます。

でも、私たちの厳しさも、優しさから始まっているはずです。しかし、その大人の振舞いが子供の心にどう作用されるかを考えるべきです。私たちが、優しさから始まる厳しさだ、と主張したとしても、選手たちの心は豊かになるとは思えません。選手たちの心は固く、狭くなっていくような。。

試合中における選手たちが、痛みを受けた瞬間に行う振舞いは痛がることです。そうでないと、チームのパフォーマンスは低下します。そのためには、痛みを表現できないといけません。甘えることができないといけません。我慢が妨げているものって多いです。